過去の練習日誌を断捨離。そして電子データとして公開してみる

中学1年だった1997年から走り始め、2000年の岐阜高専入学から練習ノートをつけ始めました。

高専生だった5年間の練習日誌は、すでに捨ててしまいましたが、市民ランナーとなった2005年からのデータは、取り続けています。(なぜか2007年だけ残っていませんが・・)

 

ずっと手帳に書き記してきましたが、そろそろかなりの冊数になってきたので、捨てることにしました。

中身を電子データにするので、せっかくなのでブログで公開することにしました。

 

ガムシャラに走り込んでいた時期、その後故障ばかりだった時期、フルマラソンへの挑戦を機に走り方にも落ち着きが出始め、だんだんと自分の体を理解していく過程すべてを、記していきたいと思います。

※現在、2016年までは距離情報のみですが、今後少しずつ詳細を書いていきます。お楽しみに!?

 

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2005年 20−21歳

岐阜高専卒業。上京(神奈川だけど)。初めての会社員。初めての一人暮らし。
何もかも初めての中で、働きながら走り続けることの難しさを痛感しました。

1月 不明
2月 不明
3月 103km ←月間距離メモのみ。詳細不明
4月   68km(完休20日)
5月 148km(完休 9日)
6月 245km(完休 5日)
7月 202km(完休11日)
8月 150km(完休11日)
9月 168km(完休 7日)
10月 129km(完休16日)
11月 152km(完休13日)
12月 128km(完休15日)

2006年 21−22歳 ガムシャラRUNからの疲労骨折

深夜残業に悩んでいた7月ごろから帰宅ランを開始し、走行距離が一気に増えました。

5000mの自己ベストを更新するも、好調は長くは続きませんでした。

1月 240km(完休12日)
2月 225km(完休11日)
3月 224km(完休 6日)
4月 159km(完休11日)
5月 243km(完休 8日)
6月 181km(完休 9日)
7月 179km(完休 8日)←下旬から帰宅ラン開始
8月 300km(完休 3日)
9月 309km(完休 1日)
10月 351km(完休 2日)←5000m自己新16分34秒
11月 353km(完休 1日)
12月 273km(完休 6日)

2007年 22−23歳 故障からのRestart

4月以降、記録が残っていませんでした。1~4月は疲労骨折でほぼ走れず、5月にリスタートランニングクラブに入会。
文字通り、故障からのRestartとなった一年ですが、その大事な記録が残っていませんでした。

1月 207km(完休13日)←疲労骨折判明
2月  0km(完休28日)
3月   22km(完休26日)
4月 不明 ←リスタート入会
5月 不明
6月 不明
7月 不明 ←5000m17分09秒
8月 不明
9月 不明
10月 不明
11月 不明
12月 不明

2008年 23−24歳

一人暮らしなのに山奥に家を買った年。静かで気楽だったけど寂しかった。

1月 247km(完休 9日)
2月 230km(完休11日)
3月 137km(完休21日)
4月 103km(完休17日)
5月 225km(完休 9日)
6月 250km(完休 8日)
7月 163km(完休13日)
8月 154km(完休10日)
9月 237km(完休 7日)
10月 179km(完休10日)
11月 223km(完休 9日)
12月 218km(完休10日)

2009年 24−25歳

まだまだ業務多忙などでトレーニングにムラがあるものの、大きな故障はなくトレーニングができた年。
「距離走」なるものを継続的にこなすことで、少しずつ脚が出来てきた一年でもある。

1月 246km(完休 6日)
2月 214km(完休 5日)
3月 238km(完休 8日)
4月 188km(完休 6日)
5月 153km(完休13日)
6月 290km(完休 7日)
7月 322km(完休 7日)
8月 301km(完休11日)
9月 332km(完休 8日)
10月 276km(完休11日)
11月 194km(完休14日)
12月 315km(完休 7日)

2010年 25−26歳

「身体の骨格バランス」を異常に気にしていた年。気にしすぎるあまり、常に恐る恐る走っていたような記憶がある。

1月 253km(完休 9日)
2月 267km(完休 7日)
3月 172km(完休15日)
4月 243km(完休 9日)
5月 341km(完休 2日)
6月 290km(完休 5日)
7月 263km(完休 5日)
8月 182km(完休10日)
9月 248km(完休 4日)
10月 310km(完休 5日)
11月 307km(完休 5日)
12月 72km(完休16日)←長期的な膝の違和感があり計画的休養

2011年 26−27歳 初マラソン挑戦

フルマラソンに初挑戦。しっかりとマラソンの洗礼を浴びるも、サブスリーは達成。
マラソン挑戦の過程で「一度に長く走る」トレーニングを積むことで、5000mで5年ぶりの自己新も達成するなど、充実の一年。

「4〜5週間頑張ったら、1週間休む」というトレーニング周期を模索していた年でもある。

1月 213km(完休 8日)
2月 283km(完休 6日)
3月 305km(完休 6日)
4月 277km(完休 7日)
5月 322km(完休 6日)
6月 323km(完休 4日)
7月 402km(完休 4日)
8月 383km(完休 8日)
9月 328km(完休 5日)
10月 159km(完休 9日)←5000m自己新、16分26秒。その後プチ故障。
11月 258km(完休 9日)←初フル完走、2時間53分54秒。
12月 119km(完休18日)←フル後の計画的休養

2012年 27−28歳

トレーニングの積み上げは順調だったものの、疲労抜きが上手くできず、過去のベストをやや下回る結果に止まり続けた一年。

1月 245km(完休10日)
2月 355km(完休 8日)
3月 331km(完休 9日)
4月 312km(完休 2日)
5月 283km(完休 6日)
6月 408km(完休 5日)
7月 263km(完休 9日)←5000m16分27秒
8月 419km(完休 5日)
9月 341km(完休 6日)
10月 339km(完休 5日)
11月 243km(完休11日)←フル2時間49分9秒
12月 182km(完休10日)

2013年 28−29歳 BCTとの出会いが走りを変えた

秋まで中々調子が上がらなかった中、日体大記録会でふと目にしたBCTの本を手に取り、取り組むことで一気に身体が変わり、走り方が変わりました。
当時の走りの変化は僕の生涯の基礎となり、生き続けています。

1月 288km(完休 9日)
2月 203km(完休 9日)
3月 421km(完休 7日)
4月 440km(完休 5日)
5月 369km(完休 6日)
6月 242km(完休 7日)
7月 171km(完休13日)
8月 280km(完休 8日)
9月 361km(完休 4日)←BCTに出会う
10月 340km(完休 4日)
11月 391km(完休 7日)←ハーフ自己新75分29秒・10km初の34分台(34:44)
12月 384km(完休 5日)

 

2014年 29−30歳

明確に福岡国際マラソン(当時の資格は2時間40分)を意識し始める一年。しかし、無理をして3分45秒ペースを作り出す練習ではなかなか継続できず、調子に乗れない一年を過ごす。

不完全燃焼の一年ではあったが、3種目で自己新を出すなど、一定の成果を出すことができた一年。

1月 305km(完休11日)
2月 346km(完休 6日)
3月 314km(完休11日)
4月 397km(完休13日)←10000m自己新34分28秒
5月 339km(完休 8日)
6月 368km(完休11日)←初ウルトラ:柴又60km5時間22分37秒
7月 309km(完休 6日)←3000m自己新9分35秒
8月 333km(完休 8日)
9月 183km(完休12日)
10月 418km(完休 5日)
11月 343km(完休 7日)
12月 263km(完休14日)←フル自己新2時間45分58秒

2015年 30−31歳

フルマラソンの経験を積むために5度のレースを経験するも、全て不発に終わった一年。
フル特有の疲労感、身体のケアの難しさを痛感した一年。

1月 236km(完休13日)←勝田3時間6分
2月 250km(完休 8日)
3月 290km(完休11日)←横浜2時間57分
4月 245km(完休12日)←かすみがうら2時間55分
5月 336km(完休10日)
6月 225km(完休15日)←柴又60km4時間38分36秒
7月 249km(完休 7日)
8月 276km(完休 8日)←北海道2時間57分
9月 279km(完休11日)
10月 279km(完休 7日)←しまだ2時間51分
11月 205km(完休13日)←つくば2時間47分
12月 257km(完休12日)←防府3時間05分

年間 km

こうしてみると、レース走りすぎですね。。まだ脚も出来てなかったのに。

 

2016年 31−32歳

十分とはいえないものの、それなりのトレーニングを継続していたが、なかなか結果に結びつかないモヤモヤが続く中、秋に故障を患う。その後およそ一年半の付き合いになる、右脚付け根の痛みが始まる。10月以降の全レース欠場。

1月 260km(完休11日)
2月 240km(完休 9日)
3月 256km(完休13日)
4月 248km(完休13日)
5月 288km(完休 9日)
6月 354km(完休 5日)
7月 276km(完休 9日)
8月 187km(完休16日)←富士登山駅伝初の山岳区間(4区・8区)
9月 295km(完休10日)
10月 265km(完休12日)←久々の長期故障(右足付け根)開始
11月 167km(完休11日)※ゆっくりJogは出来るので継続。
12月 257km(完休10日)

 

2017年 32−33歳

故障との付き合いを経て、身体作りに目覚めた一年。

春の出遅れが響き、あまり良いところのない前半戦でしたが、富士登山駅伝だけは快走。ここから、山レースの魅力にハマり、山のために身体づくりを始めた結果、マラソンにも好影響を及ぼすというサイクルが生まれました。

1月 276km(完休11日)
2月 290km(完休 9日)
3月 234km(完休15日)
4月 144km(完休18日)←課長就任により多忙となりNo Runが続く
5月 208km(完休15日)
6月 249km(完休13日)
7月 298km(完休14日)
8月 208km(完休14日)←富士登山駅伝(5区・7区)で山に目覚める
9月 259km(完休11日)
10月 253km(完休13日)
11月 238km(完休12日)
12月 249km(完休12日)

年間 2,878km 完休157日(43.0%)

 

2018年 33−34歳

身体作りを続けることで、懸案だった右脚付け根の問題も緩やかに改善し、ほぼ気にならないレベルにまで解消。
バーティカルやロングトレイルなど新しい挑戦を始め、うまくマラソンにも結びついてきた一年。

1月 230km(完休13日)
2月 225km(完休10日)
3月 203km(完休13日)←板橋シティ自己新(2:44:22)
4月 235km(完休12日)←初バーティカル参戦
5月 266km(完休11日)
6月 276km(完休 9日)
7月 308km(完休12日)
8月 214km(完休16日)←富士登山駅伝チーム4位入賞
9月 278km(完休11日)
10月 266km(完休14日)←ハセツネCUP初参戦(完走)
11月 217km(完休15日)←つくばマラソン自己新(2:43:24)
12月 232km(完休11日)

年間 2,950km 完休147日(40.3%)

 

2019年

富士登山駅伝は下り7区で念願の区間賞。
しかし5区は不完全燃焼。マラソンでも40分を切れず70点の一年。

1月 302km(完休13日/3,870mD+)
2月 286km(完休9日/3,730mD+)
3月 223km(完休14日/3,270mD+)←板橋Cityで自己新2:42
4月 233km(完休8日/4,790mD+)
5月 262km(完休12日/9,040mD+)
6月 229km(完休12日/6,970mD+)
7月 251km(完休10日/9,000mD+)
8月 232km(完休13日/8,690mD+)←富士登山駅伝
9月 276km(完休13日/9,210mD+)
10月 226km(完休13日/1,750mD+)
11月 248km(完休12日/2,450mD+)
12月 260km(完休14日/3,510mD+)

年間 3,028km 完休143日(39.2%)

 

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