冷静さを欠いた人の心はウイルスより恐ろしい

こんにちは。一般人のいしざき(@zaki84920)です。

お昼休みなのでザーッと書きます。新型コロナウイルスの騒ぎに始まる、人と人との難しい争いに、嫌気がさしてきました(嘘です、本当はすごーーく冷めた目線で見ています。笑)

 

冷静さを欠いた人の行動は、とても恐ろしい。人間は危機を感じるとその本性を露わにする。

僕も、気を付けよう。以下はほとんど、自分用のメモとして。

 

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混沌とした世を上手に生きていく

もちろん、新型ウイルスは怖いのだけど。

もっと怖いのは、人間でしたね。

 

意見の対立と人格の否定は違う

すごく大事なことなので、最初に書かせていただきました。

だいぶ、いろんなことが分かり始めてきた新型コロナウイルスですが、未解明なこともまだまだ残されています。

周囲から受け取る情報、自分なりに調べたこと等が、人により異なるのは当然です。

 

自分と違う意見を持っているからといって、その人の人格そのものを否定したり、人物そのものを批判したりしない。

 

×「そのような意見を持っているなんて酷い人間だ!」

〇「僕とは違う意見を持っている。どんな情報が根拠なんだろう?」

 

手段ではなく目的に向かって動く

マスクをすることは、概ね正しい選択だと言って良いと思う。ただし、マスクをすることが目的なのではない。

感染拡大を防ぐために、マスクをしている。マスクをしていても、その扱いによっては感染を拡大させてしまう場合があることを、よく認識しておきたい。

 

自分なりに調べて判断する

知り合いの医者が言っていた。(と、友達が言っている。その「医者」って誰よ?)

テレビで専門家が言っていた。(これは信じても仕方ない気はするが、最近のTVはちょっとおかしい。)

〇〇という実験結果がある。(それは一つの結果に過ぎないような?)

〇〇という論文が発表された。(同上)

 

医者の専門は?
テレビに出ている「専門家」の人、これだけ新コロナと騒いでいて本来の業務(調査・研究・診療)は大丈夫なの?
実験が行われた条件は?試行回数は?

 

良い意味で「疑う」心を持っておきたい。

そして、納得いかないなら、根拠となるデータを探してみる努力をする。

根拠が見つからないなら「〇〇という結果があった」「〇〇と言っている人がいた」という理解にとどめたい。

 

自分が無知であることを理解して発言する

人はどうしても、自分が無知であることを認めたくありません。

それは見栄などではなく、この未知の騒ぎにおいて「自分が無知である」と認識することは、不安に直結するからです。

 

自分を安心させるために、いや自分は大丈夫だ、自分の経験をもとに判断すれば大丈夫・・・と思ってしまいがち。

 

自分が無知であることは、決して恥ずかしいことではなく、

真摯に情報収集をし、自分なりに情報の正しさを検証するモチベーションに変えていきたい。

 

自分の正しさを他人に押し付けない

最後に。

自分が得た情報をもとに、自分の行動を律すれば良いこと。

それを他人に強制したり、違う行動を取る人を軽蔑したりしない。

 

だからこの記事も、「**しましょう!」という表現は避けています。

 

僕は、こう思う。以上。という感じ。

 

政策の検証は「今後のための教訓」でしかない

既に、ニュースサイトでは「海外のロックダウンは必要がなかった可能性」が報じられ始めています。

この先、きっと同様に「〇〇は必要なかった」という見解が、いくつも出てくることでしょう。

 

その検証結果をもとに、〇〇を実行した過去の判断を糾弾するのは、良いことではない。

 

未知の脅威の中で、安全策を取って「広めの措置」を講じるのは当たり前。

「実は必要なかった」という結果が出ることは、安全策を取った証拠そのもの。

「今後似たようなことがあったら、そこまでしなくても良いかもね」という理解にとどめておく。

 

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