「ゴールの作法」を考える

こんにちは。トレイルランナーのいしざき(@zaki84920)です。

レースのゴール(フィニッシュ)における、理想的な作法とは、どんなものだろうか。

 

2006年に、僕が5000mで初めて16分40秒を切ったとき(16:34)、

僕はフィニッシュラインを通過する時に、短距離選手のようなトルソー(前かがみになるヤツ)を決めました。

 

すると、横にいた競技役員と思われる方が

「おぉっ!競技者の鑑(かがみ)ですな!」

と褒めてくれました。

 

当時23歳だった僕にとってその一言は、ただでさえ嬉しい自己ベストに大きく花を添えてくれる言葉でした。

それからしばらくの間、僕のフィニッシュは、毎度トルソーを決める(もちろんトルソーで計測されるトラックレースのみですが)のが習慣となりました。

 

30歳を超えた今、1/100秒を削り出すような走り方をやめるに伴い、僕のトルソーは自然消滅していきましたが、

それでも最後の最後まで、全力を尽くしてゴール(フィニッシュ)ラインに向かおうとする姿勢は、変わっていません。

 

(そういえば現BESTの16分26秒を出した時も、手動計測なのに無駄にトルソーを決めていたような・・・笑)

 

.

.

 

先日、インターネットの一部界隈で「ゴールの作法」という記事が盛り上がりを見せました。

※現在、記事は削除されています。内容的には、女性ランナーのゴールを祝福する一団がゴールに留まっていたのを、後ろのランナーが温かく見守っていた&待っていた。その姿に感動した、というもの。そのゴールシーンを「理想的」と表現し、またフィニッシュ直前でダッシュして人を抜くような終わり方を「悲しい」と表現してしまったことで、炎上を招いてしまった様子。

 

個人のブログではなく、ある種のメディア的役割を果たしているブログによる記事として、

個人の価値観をもとに善悪(とは本人は言っていない?のですがそう読み取れる)を書いてしまったことは、確かに残念ではありますが、

 

「フィニッシュの手前は全力を尽くす」しか考えたことのなかった僕にとって、

ゴール(フィニッシュ)の美しさという視点は、まったく新しい価値観でした。

(それを教えてくれた上記事は、大変ありがたいものでした。)

 

順位を競う表彰のあるレースや、自己ベストを目指すレースにおいては、

僕はこれからも、最後の最後まで力を抜かず、全力でフィニッシュをすると思います。

 

しかし、全力を尽くさない美しさがあり、レースの楽しみ方があり、

上記事にあったように「他者の楽しみや価値観を邪魔しない姿勢」も、やはり大事なことだと思っています。

 

フィニッシュ地点で、健闘を称え感動を共有しているランナーたちがいて、その後ろに僕が居るという、

上記事のようなシチュエーションになる日が訪れたら、

それまでに僕がどんな価値観を持ち、その場で僕がどんな行動を起こすのか。

 

ちょっと楽しみになってきました。

もちろん、そんな状況でなくトップのほうを争いたいものですけど。笑

 

PR

Twitterもフォローしてね!

おすすめの記事