「長く続けることが一番の近道」という言葉は、時に言い訳となる

こんにちは。市民ランナーのいしざき(@zaki84920)です。

僕は中学で陸上部に入ってから、そのまま飽きることなくランニングを続けています。

 

走り始めて18年くらい経った頃から、自分に必要なトレーニング(内容・レベル)を理解し、実践できるようになっていきて、

「あぁ、ようやく実を結び始めている」と感じることが増えてきました。

 

もう少し近道をする方法はあったのかもしれませんが、

振り返ってみても、苦労した日々すべてが僕にとっては必要な毎日であり、

何か一つが欠けていても、今の僕は居なかった。

 

まさに「長く続けてきたおかげで、自分に合ったトレーニングを知ることができた」のだと思います。

 

 

と、ここまでは「表向きの良い話」。

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もっと近道できたはず!

現実的に、色々と振り返ってみれば、もっと近道できるところはありました。

「あそこと・・ここと・・」とかいうレベルじゃなくて、それはもう沢山。数えきれないくらい。

 

中学時代の「練習を繰り返しても速い人には勝てない」という思い込み。

高専時代の古典的精神論。

20代初頭の「仕事が忙しくて走れない」ことを誇らしという勘違い。

20代後半の「自分の力だけで強くなりたい」という無駄なこだわり。

 

その時その時で、試行錯誤した結果ではあるのですが、間違っていることは沢山あり、

確実に、もっと近道をする方法はあったはず。

 

「長く続けること」により、多くの経験が生まれ、アドバイスの引き出しが多く蓄積できたのは、事実です。

「長く続けること」が、結果的に、近道だったのかもしれないと思うことは、確かにあります。

しかし、もし僕が最初から「長く続けることが一番の近道」と考えて、ただ過ぎていく日々の中で同じをことを繰り返していれば、

老化に伴う体力の低下曲線とともに、衰えていたと思います。

 

僕なりに、変化を続けてきたからこそ、長かった時間が、意味のある濃い時間になったのだと思います。

 

「長く続けることが一番の近道」という言葉は、結果論としては正しいのかもしれませんが、

使い方を間違えると、変化に対応できないことへの言い訳になってしまう。

 

長く続けることを一番の近道にするには、

「今できる最大の工夫と改善」を続けることが必要だ。

 

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