スポーツにおける「才能」の話

こんなnoteが流れてきました。大いに賛同できる内容でした。

 

良い指導者がいない!練習環境が悪い!と嘆く人は、ただやる気がないだけだという論旨(まとめすぎててごめん)。指導者や練習環境なんかその気になれば変えられるのは、当然の話。

ここで「才能」に関する話が出てきたので、僕なりの「才能」に関する考え方を書いておきたいと思います。

前提として、「自分には才能がない」とただ嘆いているだけで大した努力をしない人はたくさんいます。僕調べでは傾向として才能ある人の方が努力しています。(努力ができる才能というものもある)
おそらくこのnoteも、そんな「才能がないと嘆いて努力が足りない人」のことを書いているのだろうと思います。その点は大いに賛同しています。

 

しかし、この話は「スポーツに才能は関係ない」という話とは少し、違います。
現実問題として「生まれ持った才能」というものは、あります。

(念のため書いておきますが元noteでその点は書かれていませんので、元noteの論旨を否定する意図はありません。あくまで一つの「展開」としてお読みください。)

 

これは僕の考え方ですが、スポーツにおける才能とは「生まれ持った骨格・筋力のバランス」「幼少期の活動体験」あたりに収束すると思っているのですが、一言でいうならば「そのスポーツに目覚めた時の実力スタートライン」という表現になるでしょうか。

このスタート地点がすべての人類に同じスタートラインであるか?と考えれば、根拠は言語化できなくても何となく「同じではないだろう」ということが、感覚的で分かると思います。

 

僕は有難いことに、親の方針で「小さいうちから身体を動かせ」と小学校2年生からサッカーを習い、同じチームの友人達との体力差を感じながらも、身体を動かすことは当たり前の環境の中で育ってきました。

僕が所属した町のサッカーチームはそれなりに強くて厳しいチームで、土日は必ず練習か試合、水曜夜には夜練、そして自主トレメニューも課されており僕の小学生時代はかなりの運動量だったと自負しています。

 

そんな僕が中学校で陸上競技に興味を持ち、初めて走った陸上競技としての1500m走は6分28秒。

 

「サッカーで沢山走り込んできたんだから」と、走り出す前はそれなりに自信を持って臨んだレースでぶっちぎりの最下位だったとき、僕ははっきりと「才能の差」を感じてしまいました。

今思えばそのマインドセットが長く成長を阻害していたように思いますが、一方で、大人になったいま冷静に当時を振り返っても、サッカーチームであれだけ走り込んできた自分がぶっちぎりの最下位だった現実を「努力の差」だけで語ることは難しいと思っています。

 

しかし、そんな僕も陸上競技を始めて24年後となる36歳のときに、5000mで15分台をマークしました。サッカーを始めた小学2年生から数えれば28年後ということになります。

今思えば、もっと近道することはできたと思います。理論上、僕は15分台で走れる身体になる前提をもって生まれてきたわけですから、自分には才能がないんだというマインドセットをなくし、筋力強化をし、故障の直前で違和感に気づき、スピードを強化する精度の高いレペを若いうちに取り入れ、余裕を持ったペース設定で積み上げを図っていれば、高校生のうちに15分台を出せていた可能性もあると思っています。
壮大なタラレバを展開すれば、もし高校生のうちに15分台を出していたら、競技中心の進学先を選ぶなどの判断ができ、練習環境に恵まれて14分台が出せていたかもしれません。

 

しかし、世にはそんなプロセスをすっ飛ばして初手から15分台、14分台を出せてしまう選手がいます。その選手には僕よりも高い才能があると思います。もちろん僕がその差を埋める努力をすることもできますが、初手から速く走れる人には、初手から「さらに上を目指せるチャンス」があるわけですから、同じだと理解することは難しくなります。
他人と比べられるスポーツの世界において、人間の運動能力の初期値(=才能)を無視することはできませんし、才能の差によって勝ち負けが決まることは当然あり得ます。

 

しかし「自分の走力を高めること」に関して才能の有無はあまり関係ありません。おそらく元noteの論点は「そこ」にあると思います。
才能を理由に「負ける」ことはあっても、才能を理由に「伸びない」ことは考えにくいのです。

 

陸上競技は他人との闘いでもありますが、本質としては自分の能力を高めることで勝利を手繰り寄せるスポーツです。他人と比較している暇があるなら、自分の能力を高めることに力を注ぐべきです。才能の議論は他人との比較論ですから、陸上競技の本質からは少しズレていると解釈することもできます。

 

才能の差が勝ち負けに影響する部分は少なからず存在しますが、一方で才能の差を気にすればするほど、勝利からは遠ざかっていく。そんな禅問答のような陸上競技の世界が面白くて、僕はいまだに競技を続けているのかもしれません。

 

ちなみにスポーツではなく勉学の才能は「考え続けることへの抵抗感(不快感)の有無」あたりで決まると思っています。このあたりはそのうち記事にしたいと思います。

 

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