人はなぜ感染症対策を誤るのか

こんにちは。市民ランナーのいしざき(@zaki84920)です。

新型コロナウイルス(Covid-19)騒ぎにより、ランナーという存在はすっかり「ウイルスを撒き散らす奴ら」みたいな認識になりつつある今、

 

ぼく
なぜこれほどまで、感染症対策についてズレた議論が展開されているんだろう??

 

と思っている僕ですが、その本質がどこにあるのか、なかなか良いまとめ方が見つかりませんでした。

 

ある時ふと「なんかこの感じ、コンピューターウイルスに対する考え方に似てるな」と思ったことから、この問題の糸口が(僕なりに)見えてきました。新型コロナウイルスのような未知の感染症への対策と、ランナーが持つ感染拡大リスク、そして結局、僕らランナーはどうすべきなのか?について、考えてみたいと思います。

※なお、僕は感染症対策の専門家ではありません。この記事は専門的な見解ではなく、一般論や論理性に関する話題を中心に据えています。新型コロナウイルス(Covid-19)に関する詳細には触れられませんので、ご了承ください。

 

コンピューターウイルスとは

今更この解説など必要ないのかもしれませんが、コンピューターやネットワークの世界においても、自然界のウイルスに似たような挙動(悪さ)をするプログラムが無数に確認されており、そのようなプログラムは「コンピューターウイルス」と呼ばれています。

もちろん、コンピューターウイルスは自然界のウイルスを模して「ウイルス」と名付けられているわけですから、自然界のウイルスに対して「コンピューターウイルスに似ている」と書くことは主客転倒(意味合ってる?)ですが、ここは便宜上の表現としてご容赦ください。

コンピューターの世界では、ウイルスの「増殖」「伝染」「隔離」「ワクチン開発」といった事象や活動が電子的に行われるため非常に分かりやすく、(僕だけかもしれませんが)自然界のウイルスの挙動を知るうえで、コンピューターウイルスの動作を理解しておくことは、非常に役に立つと思っています。

※コンピューターの世界では、電子的な脅威を持つプログラムはウイルスだけではないため、包括的に「マルウエア」と表現されることが多いですが、一般的に通じる言葉ではないため、本記事では電子的な脅威を持つプログラム全般を「ウイルス」と表現させていただいています。エンジニアの方には違和感があるかもしれませんが、ご容赦ください。

 

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コンピューターの世界では「新種ウイルス」が日常茶飯事

ウイルスバスターなど、いわゆる「ウイルス対策ソフト」を購入すると、毎日のようにパターンファイルのアップデートが行われます。

あれは、毎日のように新しいパターンの定義、つまり新種のウイルスやリスクが発見され、その対策プログラムが配信されている動作です。

 

自然界では、新種ウイルスの蔓延は何年に一度というレベルですが、コンピューターウイルスの世界では、毎日のように新種のウイルスが発見されては、数日中にワクチンが開発され、ユーザーは "ほとんど" 何もしなくても、ウイルスの脅威から守られてコンピューターを利用することができます。

 

対策の基本は「ワクチン」と「遮断」

いま、新型コロナウイルスの影響で、僕らが置かれている状況は

  • 感染力が強く、時に凶暴性を発揮するが、症状が顕在化しない人も多く感染に気付きにくい(これがコンピューターウイルスに非常によく似ている)
  • 感染後にどうなるのかが分からない(死亡率や再発可能性など)
  • ワクチンはまだ開発されていない

という状態。

 

新型コロナウイルス(Covid-19)の特徴、特に一つ目を見て「あぁ、まるでコンピューターウイルスのようだ(主客転倒)」と感じた技術者の方も、多いのではないでしょうか。

 

実はコンピューターの世界でも、ウイルス対策ソフトでカバーしきれない新種ウイルスというものは存在します。

そのため、情報セキュリティの世界では、そういった新種の脅威や、ウイルス対策ソフトの不具合などの可能性を踏まえた操作として、

 

「動きが怪しいと感じたらネットワークから切り離せ!」

 

という指示が一般的になっています。

 

僕らが今、各方面から言われている「とにかく家に居なさい」と同じ考え方(遮断・隔離)ですね。

ワクチンが存在しない状況でのウイルス対策は、シロであることがハッキリしないうちは、感染経路を遮断することが重要なのです。

 

つまり世で「Stay Home」と叫ばれ続けているのは、「疲れているから休め」とか「騒がしいから引っ込んでろ」とかではなく、

感染経路を遮断せよ!

というただ一つの目的のために、自宅待機をしているはずなんです。

 

感染経路を遮断するということは「つながり」を遮断すること

しかし、コンピューターの世界においても、いつまでもネットワークから切り離していては、仕事ができない、学習が進まない、といった弊害が出てきます。

だから、人は何とかして、コンピューターを元のネットワークに接続したいと考えるようになります。

 

コンピューターの世界では、概ね数日でワクチンが開発されますから、新しいワクチンが開発されれば、ダウンロード・インストールをすることで理論上はウイルスを退治することができます。ただし、この「ダウンロード」の瞬間に、一度ネットワークやUSBメモリーなど、何かしらの「接触」をしなければなりませんので、ネットワークに繋いでからワクチンを適用するまでの間に他のコンピューターへ攻撃してしまったり、データを移行するUSBメモリーに感染してしまったり等、相応の伝染リスクを背負うことになります。

また、ウイルスによってコンピューター内の様々なプログラムが傷つけられてしまった可能性、悪の組織(?)への秘密の入り口を作られてしまった可能性など、様々な不安が取り除けませんから、一般にコンピューターの世界では、未知だろうが既知だろうが強めのウイルスに感染したコンピューターは、システムを再インストールしてしまうことが多いです。

 

それだけ「ウイルス」と「つながり」は相性が悪く、一度ウイルス感染の疑いを持たれてしまうと、繋がりを取り戻すことは難しということ。

コンピューターの世界では「やり直し(再インストール)」が可能ですが、リアルな生命体ではそのような処置はできません。

 

自然界のウイルス最大の難点は「検査の精度」

ここまで、コンピューターウイルスと自然界のウイルスには多くの共通点があることを解説してきましたが、コンピューターウイルスと自然界のウイルスには決定的な違いがあります。

 

それは検査の精度です。

 

専門的には感度・特異度などと表現されますが、ウイルスに感染している人に検査をしても、一定の割合(確率)で陰性判定となってしまいます(もちろん逆パターンもあり)。

コンピューターの場合はウイルスも検出プログラムもデジタルであり判定が明確ですから「既知のウイルスに感染しているのに検出されない」ということはほとんどありません。
(母体となるコンピューターの動作不良など、可能性はゼロではないのですが、医学的な検査に比べれば圧倒的に少ないです)

これは、医学的なウイルス検査の精度が悪いという意味ではなく、デジタルとアナログの違いとでも表現すれば良いでしょうか、その根本的な性質の違いによるものです。

(詳細な解説は専門外なので省きますが、ざっくり言うと正確な検査結果を出すには技術・環境・運などが必要なようです。疑陰性が発生する理由を解説したこちらの記事が分かりやすいです。)

 

また、医学的なウイルスの検査は医療行為の中での判断材料ですから、コンピューターのようにお金さえ出せば誰でもチェックできるものではありません。

 

つまり、いま僕らが置かれている状況は、先述のような

  • 感染力が強く、時に凶暴性を発揮するが、症状が顕在化しない人も多く感染に気付きにくい(これがコンピューターウイルスに非常によく似ている)
  • 感染後にどうなるのかが分からない(死亡率や再発可能性など)
  • ワクチンはまだ開発されていない

 

という状態に加え、さらに

  • 自分は絶対に感染していないと言い切れない

 

という、重大な問題が上乗せされています。

 

つまり、正体が分からない(だんだん解明されている様子ではありますが)、誰が持っているか分からない、今吸っている空気にウイルスが含まれているかもしれない、いつ発症するかも分からない、発症したら治るかも分からない、最悪死ぬかもしれない、、、

という滅茶苦茶な状況に置かれているわけです。

 

そりゃぁ、パニックにもなります。正常な判断ができなくなるのも理解できます。

というか、そもそも「正常な判断とは何か」という根拠すら揃っていない状況とも言えるでしょう。

 

だからこそ冷静で論理的に

僕は常々言い続けていますが、こういった未知の状況において、各自の判断と行動には一定の論理性が求められます。

感覚派や論理派などと言われるように、人には様々なタイプがいて、決して「論理的であることが良いこと」ではありませんが、いまこの状況において、感覚で物事を判断することは結果として判断ミスを招く可能性が高いです。

 

特に、今のような「何が正しいのか分からない」という中においては、流れてくる情報の一つ一つに踊らされたり、思いつきで行動をするようになってしまうと、正しい感染予防はできなくなります。

また、感染予防ができそうな一つの情報に固執するあまり、問題の本質を見失うことで、無駄に怒りを感じたり、他者からの攻撃を受けやすくなったりするリスクも増大します。

 

可能な限り信頼できる一次情報を探し、何らかの基準を持って自分で判断できるよう務めること、判断に論理性を持たせること、そして情報を常にアップデートし、変化することを遠慮しない姿勢が大切です。

 

例を挙げればキリがないですが(順次、取り上げていきたいとは思ってる)、

何が正しいのかが分からない、という意味で、いまランナーの間でいちばん熱い話題は

「ランナーはマスク(又はBuff)をすべきなのか」

という問題でしょう。

 

ランナーとマスク(Buff)問題

 


おそらく、多くのランナーを恐怖のどん底に叩き落としたコチラの画像。

※上記RunnersWorldの記事は「これは科学的な研究結果ではないよ」と、別の意味で注意喚起するものですが、これらのシミュレーション動画のインパクトは相当なものだったと想像しています。

 

さらに拍車をかけたのが、あるお笑い芸人による「アホランナー」問題(※1)と、山中教授による「マスクを付けましょう」的な動画(※2)。これらの情報発信が多くのニュースで取り上げられたことで「走る時にはマスクをせねば!!」の勢いが一気に加速していきました。

※1 あるお笑い芸人が、マスクをしないで遊歩道を駆け抜けたランナーに対し「アホランナー!」とTwitterで表現したもの。
※2 京都大学iPS細胞研究所所長の山中伸弥教授がランニング時のエチケットとして、マスクやBuffの装着を呼び掛けた動画。→動画はコチラ

 

しかし、ここで気をつけていただきたいのは、仮にこれらの情報が全て正しかったとしても、誰一人として、

「マスク(やBuff)さえすれば、感染拡大リスクを減らせるよ!」などという主張はしていない

ということです(ココ超重要)。

 

シミュレーション画像は、マスクなしで走った時の飛沫の行き先を示しているだけですし、

お笑い芸人は、マスクをしないで「子供や老人の近く」を駆け抜けたランナーに対し怒っていただけです。

山中教授も「周囲の方へのエチケットとして走る時 "も" マスクをしましょう」と言っているに過ぎません。
(えっ?と思われた方、もう一度山中教授の動画を見て、言葉を丁寧に拾ってください。マスクと感染拡大リスクの因果関係には一切触れられていません。だいぶ言葉を選びながら話している印象です。)

※2020.5.5追記 「山中教授による新型コロナウイルス情報発信サイト」では、この画像に関する解説として「10メートルくらい離れないと感染の危険があるという報告」という表記がありました(前からですかね?以前はもう少し曖昧な表現だったような・・)。私が集めている情報では、この実験は感染リスクを実証したものではない、という理解です。確かに「危険がある」というのは、危険がゼロでなければ成立するので、間違いではないのですが・・。ちなみに今でも、マスクをすれば減らせるとは書かれていません。

 

これらの複合的な情報と、僕らの過去の経験から「マスクをすることで感染拡大リスクを軽減できそうだ」ということは分かりますし、それはおそらく正しいのだと思いますが、それは論理的な結論ではなく、一定の想像を含んだ結論(推論)だと言わざるを得ません。

 

さらに、問題となっているのは「マスクをするランナーが正しくて、マスクをしないランナーは悪だ」という決めつけをするという、新しい脅威の発生です。

どうやら「マスクにより感染拡大リスクを軽減できる(可能性がある)」という推論を、さらに曲解して「マスクさえすれば感染拡大リスクを無くすことができる」とでも考えているのでしょうか、マスクをしない人への非難や攻撃が見られるようになりました。

 

個人的には苦笑いを超えて呆れてしまいたくなるほど非論理的なのですが、けっこうな人数いるのが厄介な問題です。

 

そのような方は、いかに自分自身が非論理的であるか認識した方が良いですし、その非論理性の結果として「マスクをしているからOKなんだ」と勘違いし、余計な感染拡大リスクを持つことになっていないか、とても心配です。
(そのような方は、そもそもこの記事をこの位置まで読んでくれていないと思いますが。笑)

 

特に「マスクをしなさい!」とわざわざ話しかけてくる人など、本末転倒感が満載です。接触を防ぐことが何より大事なのに、わざわざ接触を試みるとか、本来の目的を忘れ過ぎている。。
(他者への攻撃=犯罪に手を染める人もいますが、それは感染症云々の前に論外ですね・・自分の前に現れたら厄介ですがね。)

 

ランニングにおける感染拡大防止への配慮は、マスクをすることだけが正なのではなく、周りの人からの距離を置くこと、そもそも混雑する場所を避けること、呼吸が荒くなるようなペースまで上げないこと等(これらも確固たる根拠はないので推論の域を出ていませんが)、いろんな手段があると思います。

 

また、そもそも論として、家から出ること自体に感染拡大リスクがあるわけですから、マスクを付けていようがいまいが、感染拡大リスクを高めていることに間違いはないのです。

 

根本的には「お互い様」。その中でできるだけ配慮する。
(目的を理解し、冷静になろう・・)

 

その根本意識があるだけで、感染症対策を誤るリスクを大きく軽減できるはずです。

 

 

実はこの結びも、推論の域を出ることはできません。正体が分からない以上、素人が確実な結論にたどり着くことはできないということです。

 

「2m間隔を空ければ大丈夫。」
「3つの密を避ければ大丈夫。」
「マスクをしていれば大丈夫。」

 

このように、何か確実な結論(らしきもの)にすがりたくなる気持ち、安心が欲しい気持ちは分かりますが、その思いがエスカレートすることで本末転倒な行動が生まれ、感染症対策を誤ることになります。

 

「これさえやっていれば良い」ではなく

「分からないことばかり。だから、できる限りの配慮をしよう。」

の気持ちで、この重苦しい状況を乗り切っていきたいものです。

 

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